2010年03月31日

丁稚、武者修行に出ます!

年度末ですね、、、(何度この言葉から始めたっけ?)
みなさま昨年の6月からの拙い「丁稚奉公記」に
お付き合い下さりありがとうございました。

6月に中田さんに弟子入りしてから、
それまでろくに聞いたことも無いファシリテーションという言葉に出会い、
戸惑い、悩みながらもなんとか食らいついて来ました。

まだまだ習得にはほど遠いですが、
師匠より「いくら練習しても成長しない。実践を経験しないと」
というお言葉もいただき、4月から参加型開発研究所の近くに事務所がある
NGOで修行させていただくことになりました。

アジアからの研修生を迎えて、
有機農業や保健衛生の研修をコーディネートする担当として働きます。
ファシリテーションも重要な要素になるので、
今までの学びを活かして活動していきたいと思っています。

もちろん参加型開発研究所での丁稚も継続していきますが、
今後は以前のようにブログの更新ができないかも知れません。
ですが、中田さんの講座などがある際にはしっかりと更新していきたいと思っています。

とりいそぎ、ご報告でした。
今後ともよろしくお願いします。
posted by taku at 15:17| Comment(0) | 丁稚、考える。。。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

「対話する力」〜ファシリテーター23の問い〜

表題の書籍を読んでみた。
著者は中野民夫さん、堀公俊さんで日本経済新聞出版社。

読もうと思ったきっかけは、中田さんが講座でよく紹介しているから。
が、最初に読んだ感想は「ありきたりな事を書いているな」というものだった。

タイトル通り「23の問い」について堀さんと中野さんがそれぞれの考えを述べつつ
キャッチボールをしているのだが、「まぁそれはそうだな」と思うようなことばかりで、
特に新しい発見を見出すことはできなかった。

そこで読み方を変えてみた。
新しい知見を得ることを目的にするのではなく、
書かれていることを元に自分の経験と照らし合わせてみることにした。
すると実はなかなか興味深い本であることにようやく気付くことができた。

一例を紹介する。

p80に中野民夫さんが社会活動家のジョアンナ・メイシーさんから教わったことで
「自分の体験から始める」ということを紹介している。

「一般的な抽象論から始めるのではなく、(中略)参加者一人ひとりの体験を思い出して語るところから始めて行くものです。皆が実感を持って話し始めることができ、お互いに触発されて、テーマの多面的な解釈や取り組みが可能になります。」とある。

これは中田さんが再三言われている「事実」「自分の経験」ということに大きく関連していると思うが、
自分の体験で言えば水俣時代のことが思いだされる。

当時働いていたNGOでは宿泊施設を持っており、水俣に興味関心のある人を受け入れていたが、
一つルールがあった。それは宿泊した次の日に職員の朝ミーティングに参加し、
自己紹介を行うというもの。もちろん職員側も自己紹介を行う。
NGOなので金銭のやりとりだけでなく、
出会いの場にしたかったという思いから始まったらしい。

自己紹介では名前、出身地などを話してもらった後に、「水俣に来る動機」を話してもらう。
これがなかなか面白い。
そこに居る人間が共通して持っている「今水俣にいる」という事実の背景をそれぞれが語ることで、
中野の言う「皆が実感を持って」「お互いに触発されて」「テーマの多面的な解釈や取り組みが可能」になる。
その結果として何年も一緒に働いている職員の聞いたこともないような思いを聞くことがよくある。

中野が指摘しているように
「初めの問いは良いとか悪いとか人に裁かれるも心配がないものが適切(中略)自分の体験はその人その人の事実であり、真実であって、他人が良いとか悪いとかいうものではない」ところからはじめることで良い効果を生んでいるように思う。

実際水俣は依然として「敷居が高い」「プレッシャーを感じる」という
イメージを持ってくる人が多く、一部ではそれは確かにある。
そういう緊張感を持った人が上記のようなやりとりでリラックスでき、
水俣病という軽くはないテーマについて自由に意見を出せるようになることがある。

「対話する力」はそれぞれのテーマについてはさらっとしか記述されていないので、
ただ読むだけでは浅くなってしまう。
しかし、自己の経験を振り返るためのツールとしてはとても興味深い。

中田さんが書籍を紹介する時の言葉を思い出した。
「ファシリテーションについての良い本です。
ただできる人は知っていることも多いだろうし、
できない人が読んでもできるようにはならない。
いくら泳ぎ方を本で勉強しても水の中で練習できなければできないのと一緒」

最初は「そんなことはないだろう」と思っていたが、
ようやくその意味がわかったような気がした。

なんだかだらだらと長くなってしまいました。反省。
最後までお付き合い下さった方、ありがとうございました。
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2010年02月12日

「全部話してしまう先生、、、」からファシリテーションを考える

今更ですが、丁稚はフィリピンに英語の勉強に来ています。
英語が満足にできないなんて本来なら丁稚すら失格なのですが。

それはさておき、ここフィリピンでの授業の特徴はマンツーマンです。
人件費が安いから可能なんでしょうね。一日に4時間あります。

ほとんどの先生は若い。大学卒業後3〜5年といったところ。
が、僕の先生で一人50代半ばの先生がいます。
ずっと教師の方で「ちょっと視点を変えてみようかと思って」という
ことで英語を教えに来たそう。

教育者としての長い経験や哲学を持っており、
話をしていても楽しい方です。深みと広がりがあって。

が、一つ問題があります。それは話が長い、、、、
のはまだいいんですが、本当の問題は表題の「全部話してしまうこと」。

例えばある文章を読み、「この文章の要約ができますか」と聞いておきながら、
「この文章の要約はこうこうですね」と全部言ってしまう。
ちっとも待ってくれないんですね。

または全く意見を聞いてもらえずに、結論をぜんぶ言ってしまう。
その後に「何か意見がありますか」と聞かれても、
「はぁ、そうですね」としかいいようがない。
まぁ英語の勉強なんで無理やり意味にないことでも話しますが、
ファシリテーションの現場を想定すると何と意味のない会話かと思う。

中田さんが「ファシリテーションの奥義の一つは「待つ」こと」と言っている。

英語の授業の話はそこまで大げさではないんだけど、
待つことの重要性を受ける側として実感させられた。
生徒とすればなんだかやる気が削がれる感じがするし、
例え同じ意見を持っていてもそれは先生の考えと意識され、
自分のものにはならないんですよね。

と同時に自分も誰かに何かを教える時に話しすぎていないか、
職場や家庭で気をつけなければと思った。

受け手からすれば簡単なことに感じた。
今回の場合なら先生がちょっと待ってくれる、
もしくは聞いてくれるだけで良かったので。

JICA研修のふりかえりか何かで長畑さんが
「ファシリテーションなんてそう難しく考える必要はない。
 誰でもちょっと意識すればできるんですよ。
 一度問いかけて上げるだけでもいいし」と言っていた。
それを聞いて「嘘やん、難しいって」と心の中で反論したのを覚えている。

でも、今日は長畑さんが言う「簡単」を少し実感できたように思う。
とはいえ、やっぱりやる側になるとなかなか難しいのだろうけど。
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2010年01月11日

カマルさんに聞く「大学の意義」

昨日の日記の続き。
(一度手違いで削除してしまったので、思い出せる範囲で修復します)

晩御飯をみんなで食べている時に、
国際開発を学ぶならどこがいいか、という話になった。
というのもフィリピン大学を検討している人がいたため。

カマルさんは自分の経験からも次のように話をしてくれた。
「フィリピン大学もいいけどインドもいいよ。あとNZも。
 イギリスの大学はどうだろう。
 大学での勉強は抽象論になりがち。イメージばかり。
 後々、大学で生きていくならハクはつくと思うけど。
 僕は修士のとき、すでにアクションエイドでの経験があった。
 だからチェンバースさんにも「君には必要ないよ」と
 言われちゃったよ」

「大学で学ぶ意義は理論を勉強できるということ。
 理論は例えるなら道のようなもの。
 車の運転が実践の方法や経験といえる。
 もちろん運転できないと前には進めないから、
 運転は重要。でも、道を知らなければ同じところを
 ぐるぐる回ってしまう。そこが重要。
 インドのある大学では実践も理論も学べるよ。」

その後、彼女に次にように問いかけた。
「でも、あなたはどうして大学で勉強したいの?」
確かにその人はこれ以上の勉強は必要はないかも知れない。

最後にカマルさんが強調したのは、
「今まで述べてきたように大学で学ぶ意義はある。
 お勧めできる良い大学もいくつかある。
 でも、道を学ぶなら、パウロ・フレイレ、○○、○○、
 (現在確認中→Paulo Freire、Antonio Gramsci
  You first read them. Their theories are based on (partly)  
  Karl Marx's ideology. )の3名の本を読めばいい。
 フレイレの本は難しいから、2回、3回と読む必要が
 あるけど、だんだん理解できるはず。
 そうすると、例えば窓から外を見ても、あれが木であれが雲、
 あれが道とクリアーに見えるようになるはずだよ」

う〜ん、中田さんと言っていることが似ているなぁ。
フレイレの本もきちんと読み込んでいない。
良い機会だからもう一度トライしてみよう。

そうそうフレイレ以外の人は開発の人ではありません。
イタリアとフランの人。
カマルさん曰くは「開発だけ勉強してもだめ。全体のことを
勉強して、その中での開発の位置を掴むことが大事。」とのこと。

カマルさんが言うと重みがあるなぁ。
posted by taku at 15:53| Comment(0) | 丁稚、考える。。。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

初成功?事実質問、、、 〜息子、朔とのやりとり〜

年末年始、家族とともに過ごした。
息子の朔(さく)4歳はよく泣いた。
親と居るせいか、甘える、すねる、、、
そして、泣くを繰り返していた。

その原因に関して妻と二人で下記のような仮説を持っていた。
「きっと保育園ではこんなに泣いていないはず。
休みで親と居るせいで甘えているだけだ。」

そんなある日、妻が息子に尋ねる。
「いつも保育園でもそんなに泣いているの?」
朔「うん、いっぱい泣いてるねん」

その時は漠然と事実ではなく、パーセプションのやりとりだなぁ、
などと思って聞いていた。日常会話はこんなものだ。

。。。。。

正月も明け、朔が今年初の登園をした日。
帰宅後、家族で話をしている時に
ふと上記を思いだして聞いてみた。

私「朔、今日は何回泣いたの?」
朔「今日はねぇ、1回」
私「いつ、何があったの?」(この辺の質問がまだまだ)
朔「赤ちゃんがねぇ、さっくんのおもちゃを取ったの。」
私「赤ちゃんは歩けるの?」
朔「ううん、歩けない」

歩けない赤ちゃんにおもちゃを取られて泣くなよ、、、
とは思ったが、同時に「おぉ」とも思った。

今まで息子に事実質問をしても全く効果なし。
そもそも時間の概念もないのだから。

そして保育園での話を聞こうとしても、
最初の会話のような漠然とした会話にしかならなかった。
が、今日は上記の「保育園で何回泣いたの?」から
初めて朔の保育園でのリアリティを垣間見た気がした。
もちろん上記のやりとりだけでなく、
その後、朔は今日の泣いたくだりを生き生きと語ってくれた。

そもそも最初のやりとりでは、
朔が保育園で本当に泣いているのか、はよくわからないと
感じていた。しかし、この日のやりとりで朔が本当に泣いている
ことが確かめられた。

ものすごく小さな事だけど、息子相手にうまくいったのは初で
嬉しかった。次は朔の初詣のお願いを確かめてみよう。

朔、2010年のお願い:
「お友達がたくさんできますように!」

私「さっくん、お友達居ないの?」
朔「さっくんねぇ、お友達こんだけしかいないの。
  (と指を二本立てる)いちぃ、にぃ、こんだけ。
  他のお友達はねぇ、遊ぼって言っても遊んでくれないの」
親としてはそんなことはないと思うんだけどなぁ。
posted by taku at 00:04| Comment(2) | 丁稚、考える。。。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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