2010年02月27日

プロジェクトの弊害

しばらく事実は封印。坂西のパーセプションにお付き合いください。

スラウェシで現場での経験豊富な方たちに囲まれ、
色々なお話をお伺いする機会に恵まれた。

その中で印象的だったのは、「プロジェクトの弊害」について。

中田さんも度々プロジェクトありきの活動の問題点を指摘していた。
またマスターファシリテーション基礎講座でも
「プロジェクト慣れ、援助慣れしている住民」という人たちという想定で
どう事実を引き出すか、という展開もある。
(もちろん基本は住民が「慣れ」ていようが「慣れていない」かろうが、
外部者との関係性においてはパワーバランスが偏っているという前提ですが)

が、そもそも僕にはそれがよくわからなかった。
つまり「プロジェクトで何かをもらったことがある住民・地域」という
そのものがイメージすることができなかった。

しかし、スラウェシに来て上記のように色々と話を聞く中でようやく少し実感できた。
そういうプロジェクトの存在そのものが本当にあるんだということが。

もちろん経験不足と言えばそれまでだが、
今まで関わってきたNGOではプロジェクトだけが存在するというケースはあまりなかった。
もちろん水俣で活動する中でも出会ったことはなかった。

今までの自分の経験内ではNGOの場合少なくてもある程度の関係性があり、
それを基にプロジェクトがあった。
(だからと言ってNGOを擁護するわけでも、NGOの方が良い、
もしくは質が高いと言いたいわけではなまったくない。)
だいたい一つのNGOが関係を持っているぐらいで、
多数の援助が入っているコミュニティというものを知らなかった。
規模があまりに小さい活動しか知らないせいかも知れない。

それゆえただ単に関係性のないところに行ってプロジェクトを実施するということがある、
いっぱい援助が入っている村がある、それに慣れている住民がいる、
というのことがまったく実感できなかったのだ。でもどうやらそれはあるらしい、となんとなく感じれた。

新鮮な驚きだった。

ある人が地元学とPRAの違いは「その後にプロジェクトを想定しているかどうか」と教えてくれた。
実はこのフレーズは以前にも長畑さんから聞いたことがあったのだが、
そもそもプロジェクトの存在を上記のように理解していなかったので、
あまりピンと来なかった。
が、今日はその違いが以前よりよく理解できたと思う。

実は僕は逆に地元学がその後のプロジェクトを想定していないことが、
実践的に考えると弱みの一つと思っていたのだが、
海外の現場ではそれが強み、価値転換につながることもあるようだ。
posted by taku at 00:37| Comment(2) | 中田インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その先にプロジェクトが想定されていないほうがいいこともあると。面白いですね。
Posted by たかしま at 2010年02月28日 09:59
水俣などの国内の現場と比べるとずいぶんと前提条件に違いがあるみたいですね。
Posted by 坂西 at 2010年02月28日 22:11
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