2010年03月10日

村人に怒る?

和田さんは参加者を「ぐりぐり」する。
とことんしごくのだ。しかし、参加者はみな笑顔だ。
嫌な顔ひとつせず、むしろ喜んでいる風ですらある。

不思議だったが、まぁ研修なのでやる気があれば、当然そうなる。
しかし、和田さんはコミュニティでも同じようにやるらしい。
それを聞いたときは衝撃だった。

以下、そのやりとり

和田「村人だって同じようにやるよ」

丁稚「村人もですか?」

和田「そうだよ。当然だ」

丁稚「村の人は、嫌がったりしませんか?」

和田「全く。俺が怒るのを待っている。
   怒ると「えへへ」っとか言ってさ」

丁稚「それはオーナーシップが確立されているからでしょうか」

和田「そうだよ。あとはこちらが本気でやっているのがわかるからだ」

丁稚「恥ずかしながら、そういう状況がイメージすらできません」

和田「そうだろう」


オーナーシップをつくる、というのは参加型アプローチでの一つのポイントになる。

それぐらいのことは知っているつもりだった。本にもあるし、皆言う。
言葉としてはどこでもあるのではないだろうか。
しかし、その内容を全く理解できていなかったことに今日気付けた。

上記で述べたように、僕には「外部者に怒られても、喜んでアクションプランを
つくるコミュニティの人々」がイメージすらできない。

というのも今までの自分の経験の範囲内では、そんなことをしたら、
向こうも怒ってしまって、物事がうまくいかなくなると思っていたからだ。

それが一つの偏見であり、自分の関係性づくりができていない証拠だった。
つまり、やはり「こちらの意図することをやってもらう」というイメージが自然とあったのだと思う。

これをもう少し考えていくと、「村の人には意味がない(もしくはあまり意味がない)こと」
というのを無意識化では認識した上で「村の人にやってもらう方法」を考えていた、
ということになるような気がする。
これでは中身が一緒でシールだけ張り替えているにすぎない。
もしくは「参加型でその気にさせる」とか。

もちろんシールだけ張り替えている活動はたくさんあるし、
そういった活動はよくない、と思っていた。
自分がやっていることはそうではない、と思っていた。
しかし、それは思い込みで実はあんまり変わらなかったのかも、、、

というのも
水俣で地元学をやるときもそういった意識があったように思う。
オーナーシップの確立の方法を知らなかったとは言え、
上記のような活動ならやる意味はどこにあるのか。

「腹の底から納得する」 「If I find it, I use it」
それぞれのシンプルな言葉が深い。まだまだ理解が追いつきません。
posted by taku at 17:25| Comment(0) | 中田インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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