2010年02月12日

「全部話してしまう先生、、、」からファシリテーションを考える

今更ですが、丁稚はフィリピンに英語の勉強に来ています。
英語が満足にできないなんて本来なら丁稚すら失格なのですが。

それはさておき、ここフィリピンでの授業の特徴はマンツーマンです。
人件費が安いから可能なんでしょうね。一日に4時間あります。

ほとんどの先生は若い。大学卒業後3〜5年といったところ。
が、僕の先生で一人50代半ばの先生がいます。
ずっと教師の方で「ちょっと視点を変えてみようかと思って」という
ことで英語を教えに来たそう。

教育者としての長い経験や哲学を持っており、
話をしていても楽しい方です。深みと広がりがあって。

が、一つ問題があります。それは話が長い、、、、
のはまだいいんですが、本当の問題は表題の「全部話してしまうこと」。

例えばある文章を読み、「この文章の要約ができますか」と聞いておきながら、
「この文章の要約はこうこうですね」と全部言ってしまう。
ちっとも待ってくれないんですね。

または全く意見を聞いてもらえずに、結論をぜんぶ言ってしまう。
その後に「何か意見がありますか」と聞かれても、
「はぁ、そうですね」としかいいようがない。
まぁ英語の勉強なんで無理やり意味にないことでも話しますが、
ファシリテーションの現場を想定すると何と意味のない会話かと思う。

中田さんが「ファシリテーションの奥義の一つは「待つ」こと」と言っている。

英語の授業の話はそこまで大げさではないんだけど、
待つことの重要性を受ける側として実感させられた。
生徒とすればなんだかやる気が削がれる感じがするし、
例え同じ意見を持っていてもそれは先生の考えと意識され、
自分のものにはならないんですよね。

と同時に自分も誰かに何かを教える時に話しすぎていないか、
職場や家庭で気をつけなければと思った。

受け手からすれば簡単なことに感じた。
今回の場合なら先生がちょっと待ってくれる、
もしくは聞いてくれるだけで良かったので。

JICA研修のふりかえりか何かで長畑さんが
「ファシリテーションなんてそう難しく考える必要はない。
 誰でもちょっと意識すればできるんですよ。
 一度問いかけて上げるだけでもいいし」と言っていた。
それを聞いて「嘘やん、難しいって」と心の中で反論したのを覚えている。

でも、今日は長畑さんが言う「簡単」を少し実感できたように思う。
とはいえ、やっぱりやる側になるとなかなか難しいのだろうけど。
posted by taku at 16:44| Comment(0) | 丁稚、考える。。。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。