2009年11月18日

水俣FW初日、水俣病&ごみ分別


いよいよ水俣・地元学研修開始。

まずは自己紹介を兼ねたワーク「私の村・あなたの村」。
これは相思社時代に地元学研修を担当していた国際セクションで開発したワーク。

それぞれ関わるコミュニティを3つのキーワードで表現してもらう、というもの。
狙いはこれから地元学の研修を受けるあたって、常に自分の関わるコミュニティを
イメージしてもらいたい、ということと、
その3キーワードにポジティブなものが現れるか、ネガティブなものがあらわれるか、
ポジティブな側面がでてきたとして、どういう性格のものがでてくるか。
インフラなのか、地元の伝統的な仕組みなのか、まず自由に表現してもらう。

拙い英語で坂西が進行。
まずは各自紙に書いてもらう。2グループに分かれてシェアリング。
「貧しい人々」「アクセスの悪さ」などいくつかのネガティブな表現もあったものの
全体的にはポジティブな面、それも自然資源や、人の個性などに注目したものが多かった。
長畑さんの大阪でのファシリテートの成果だろう。

次に水俣病歴史考証館見学。今日の午前中のテーマは水俣病。
ここでしっかりと押さえ、午後から地元学に入っていく予定。
考証館は基本は自由見学だが、坂西が相思社の活動、水俣漁民の出自、
チッソの歴史や現在の商品などを説明。時間がなかったこともあり英語で行う。
いつも通訳してくれているJICE八木さんの存在の大きさを改めて実感した。

考証館を出て、胎児性患者の通所作業所兼、ショートスティ施設、ほっとはうすへ。
ここではお母さんのおなかの中で有機水銀に暴露した胎児性水俣病患者の人たちに会う。
それぞれが生い立ちなどを語ってくれた。

僕が6月に水俣を離れるまでは自転車に乗っていた患者の人が、
車いすに乗っており、とても驚いた。年とともに急速に進行しているようだ。

昼ごはんはもやい直しセンターという公民館のようなところで、
水俣特産のわっぱめしを食べる。

午後からはごみ分別を学ぶ。
まず水俣市のクリーンセンターへ。
水俣市ではごみを水俣市民が22分別にわけている。
それをクリーンセンターが回収し、プレスしたり、破砕したりなどの処理をしている。
またリサイクル業者に販売したりもしている。

クリーンセンターでは実際にごみの処理の様子やごみが集まっているストックヤードを見学。
実際に物が目の前にあるせいか、質問が矢継ぎ早に飛んで八木さんの通訳も追いつかないほど。

その後、一度相思社に戻り、
簡単なリフレクションと印象に残ったことなどを考える時間を持つ。
残念ながら十分な時間は割けなかったが、何人かには発言してもらえた。
そのまま水俣の事例として「水俣におけるごみ分別の意味」を紹介。

水俣のごみ分別は環境負荷の軽減を目的としていたが、
そちらはコストやごみ総量などいろいろな課題があり、必ずしもうまく言っていない。
しかし、水俣の地域づくりには大きな役目を果たした。
それは水俣病によって壊れた協働作業再生のための場、住民同士が話し合う場を持てたこと。
外の人が評価してくれ、水俣病で失った誇りを取り戻すことができたこと。
水俣は外部からの評価があって、初めて水俣病と向き合うことができるようになっていった。
というようなことをごみ分別がもたらした成果として紹介。

そして実際に、地域の人がごみを分けている実践を見に行く。
西の浦団地ということろ。どこかのTVの取材も来ていた。
例年暗くなってからきていたので、初めて明るいうちに見学できた。
コンテナを並べるところから、地域の人が集まって来て、
どのようにごみを分けているか、老人がどのようにサポートされているか、
中学生のボランティアが何をしているか、水俣地域の協働作業を見てもらった。
各自、分別を手伝ったり、インタビューしたり。寒かったが、たっぷりと時間をとれた。
それぞれが何を掴んだか、表現してもらう時が楽しみだ。

最後に水俣湾の埋め立て地を見に行く。
水俣の水銀が今なお無処理で埋め立てられている場所。
なんと58ヘクタールもある。
海岸沿いはともかく寒い。

長い一日だった。
最後に相思社職員とふりかえり(今日の反省、明日の確認など)をして終了。
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